かわらばん

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     SICの歴史
かわらばん地域版26号 2013年9月

証言で綴るS I Cの歴史
   有限会社 GMP 創房 取締役 前田 圭一郎
 筆者は、10年以上にわたりビジネス・インキュベーション(以降BIと称す)事業に係ってきました。SIC-1の構想・事業計画の策定支援やSIC-1の設計者選定プロポーザルでの審査員として係った1998年~2000年頃の記憶を掘り起こし、SICの事業としての特徴や係った専門家の素描によって歴史の証言とします。

■SIC-1は画期的&先駆的事業

 SIC-1は、1980年代後半の大規模なBI事業=大手民間企業等の出資を源としたKSP(神奈川サイエンスパーク)やKRP(京都リサーチパーク)に代表されるBI事業とは異なり、地場企業や地場有志等と自治体が協働した地域密着型かつ小規模のBI事業の展開という観点から、画期的&先駆的なものでした。
 BI業界では、前述のKSP、KRP、そしてSICが3大ブランドと言われることが多いのですが、SICは、KSP、KRPと比較した場合、質的に全く異なるもの=『同業異業態』と考えるのが妥当でしょう。
 また、リスクが高いと言われるBI事業において、SIC-2、SIC-3と事業拡大し、安定的に事業継続をしているSICモデルは高く評価されるべきでしょう。
 SICへの見学者の多さは、まさしく、その証左と言えるでしょう。

■SIC-1に係った専門家集団=『関軍団』

 SIC-1の構想策定と事業計画立案には、『西澤正樹氏(※1)』を中心にした専門家チームの関与がありました(筆者も含む)。
 その専門家チームは、『関軍団(※2)』のメンバーでもあり、BI事業について高い専門性と志を有し、神戸市長田地区の震災復興支援(ケミカルシューズを中心とした地場産業復興)、大田区、三鷹市をはじめ、各地での主に公的主体によるBI事業立上の支援などを行っていました。SIC-1においても、その専門性は発揮され、SICの礎を整える一助となったのではないでしょうか。

※1=現 亜細亜大学/同大アジア研究所 教授
※2=関軍団は、『関満博氏(地域産業論・中小企業論/現 明星大学経済学部教授・一橋大学名誉教授/フルセット型産業構造を越えて(中公新書)など著作多数)』を中心に、地域産業振興、地域活性化等を目的に地域密着型の支援活動を特徴とする。

■SIC-1の3階建の理由=優れた設計者の存在

 事業性の確保のためには工事費(初期投資)には当然上限があります。当初の構想段階では、SIC-1は2階建を予定していました。当時、同規模・同仕様の建物と比較してギリギリの額を工事予算として組んでおり、敷地面積と工事予算を勘案すると、2階建を前提にした施設規模が精一杯との想定をしていました。
 ところがプロポーザルにより選定された設計者である『長崎克央氏(※3)』の知恵と工夫により工事費の圧縮に成功し、予算内で収益を得る事業床の増床ができることになりました。工事費は当初予算と変わらず、収益機会が増えるのですから、その事業性は大きく向上することになります。現在のSIC-1は3階建ですが、これは上記の設計者の優れた設計力とBI事業及び地場産業への深い理解の証でもあります。

※3=創夢設計(相模原市)/SIC-2、3の設計者でもあります。