かわらばん

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     ちいたび
かわらばん入居版72号 2010年5月

石川の日光街道 道中記 第6回
-22年4月18日(日)晴れ 雀宮宿~徳次郎宿-
 7 時44 分雀宮駅到着。雀宮宿は日光街道が開かれたときに新設された宿場で、雀宮神社は小さな社ではあるが997年創建と言われる。まもなく4号線に100㎞の道路標識が現れる。「やっと来たなあ!」と思いながら進んで行くと、街道沿いの旧家には大谷石を使用した塀や土蔵が多く見られ産地が近いことを知らされる。4号線とは8時54分に西原の交差点で分かれ、ここからは119号線を歩くことになる。JR日光線を越えると不動尊があり、宇都宮宿に入る。日光街道で一番繁盛した宿場で、栃木・鹿沼・水戸北・真岡の各街道の始点として北関東の中心地となっている。交差点を左に入り旧道は東武宇都宮線を潜ると、左側に尊皇攘夷論者で「寛政の3奇人」と言われた蒲生君平勅旌碑がある。
 台陽寺・一向寺と回り、桜が満開の報恩寺には、寛永16年(1639年)創建時のままといわれる山門は茅葺屋根で、確認資料がないため公認はされていないが、その佇まいは雰囲気がある。119号に一旦出た後すぐに左折し清住町通り進むと、老朽化してネットをかけた商家が見える。ほどなく延命寺があり、地蔵堂は享保年間創建といわれ、宇都宮市内で公認の木造最古の建物で、大谷石を基礎に入母屋の二重屋根の珍しい造りである。すぐ近くには蒲生君平の墓所のある桂林寺がある。1 .3㎞ほど進むと119号線と合流し、11時30分境内に高地蔵尊が祀られている高尾神社にて昼食。
 宮還上戸祭町交差点を越えると、満開の桜並木と所々の杉の緑が対照になり素晴らしく、時折花吹雪も舞い上がり、遊歩道も整備されているので安心して歩けて大変優雅な気持ちで「街道歩き」を満喫。まもなく江戸から28里目の上戸祭の一里塚となり、弁天橋で並木はいったん途切れる。5分ほどで山門が竜宮城のような光明寺が左手に見えてくる。徳川将軍が日光参拝のときの休息所として使われた寺で、寺の前には立場( たてば)(宿場と宿場の間に休憩のための茶屋など)があったといわれる。ここから桜の並木は再開する。
 東北自動車道の宇都宮IC をすぎて大谷道の道標に到着、ここからが徳次郎( とくじら) 宿となる。本日はここまでとして、バス停山王団地入口から関東バスに乗り宇都宮駅に向かい、名物の宇都宮餃子を土産に13時51分帰路に着いた。本日の街道距離は17.3㎞でした。

-22年5月2日(日)晴れ 徳次郎宿~今市宿-
 徳次郎(とくじら)の地名は日光に大きな勢力を持っていた久次郎(くじら)一族に由来するといわれている。徳次郎の交差点を左折すると、右手に願をかけるとアザやイボが治るとい
う痣地蔵堂がある。次に奈良時代に建立されたという神明宮の位置がわからず、20分ほど迷ったが、近くの方に教えていただき小さな社であることが判った。街道沿いの水田では田植えが
行われ、庭先には鯉のぼりが泳ぎ、遠くには山々が連なり風景画のようである。石那田八坂神社・新渡神社を過ぎ山口のバス停の少し先から119号線と分かれ旧道を行くと日光市に入る。
ほどなく慶安元年(1648年)に立てられた杉並木寄進碑がある。
 松平正綱が寛永2年植樹に着手した杉並木は、日光・例弊使(れいへいし)・会津西の三街道の全長37km約12500本からなり、ギネスブックにも最長の35Kの並木道として登録されている。全国で唯一特別史跡及び特別天然記念物であり、オーナー制度が取り入れられ保全に努めている。
 11時40分大沢宿に入り、杉並木は少し途切れるが、すぐに大沢の古杉や八坂の枝喰い杉の巨木が現れる。街道の左脇には2kmほど地元の方が丹精された芝桜が続いている。13時30分には杉の割れ目に山桜の種が落ち、杉に桜が寄生し一本の木のような「桜杉」、幹が空洞になり大人4人が入れるほどの「並木ホテル」がある。すぐ先を東武日光線が高架で横切るあたりから今市宿に入り、追分地蔵尊・尊徳を祀る報徳二宮神社を巡り14時15分下今市駅に到着、帰路に着きました。本日の街道距離は17kmでした。

ー22年5月23日(日)曇りのち雨 今市宿 〜 鉢石宿(日光)ー
 今市宿は慶応4年(1868)の戌辰戦争で宿のほとんどが焼失したという。早速家光が東照宮造営のために逗留した如来寺を参拝する。滝尾神社は風車に願い事を書いて奉納するという珍し
い信仰で参道の両側で風車が回っていた。瀬川の一里塚から30分ほどで龍頭部分が欠けた石造りの梵鐘が境内に置いてある薬師堂があり、ちょうど「花祭り」の日で田植えを終えて落ち着
いてから開催されているという。皐月の花で飾った厨子がきれいで拝観できてラッキーでした。JRと東武の日光線の間に街道はあり、杉並木の右側には清らかな小川が流れ一層雰囲気を高めている。
 最後の宿場の鉢石(はついし)に入り、すぐにJR日光駅が右手に見えてくる。駅舎は大正8年建築されたものでJR東日本管内最古である。 

 土産店が並ぶ道を登っていくと右手を少し入ったところに宿場名の由来の鉢石がある。11時30分200m先の神橋へ到着、日光街道を踏破することができました。東照宮・輪王寺・二荒山神社・大猷院霊廟を10年ぶりに見学し、帰路はスペーシア6号に乗車、湯葉弁当と地酒をいただきながらごきげんなフィナーレでした。本日の街道距離は8kでした。


 今年1月号より連載させていただきました日光街道の道中記も、おかげさまで鉢石(日光)に到着することができました。昨年の東海道に続く旅でしたが、毎月道中記の締め切りに追われた12月から5月の半年間をダイジェストしたいと思います。
・延日数 8日間
・歩行距離143k
・1日平均歩行距離 17.9k
・宿場数 21

 今回は毎回日帰りであったこと、史跡をゆっくり見学したこと、「杉戸宿」「小山宿」「杉並木」等の地酒を購入したことなど、一日の距離があまり延ばすことができませんでした。自
分なりに東海道を急いで歩き過ぎた反省もあり計画段階でゆったりしたものにしたことによるものです。
 街道全体としては、平坦で歩くには楽でしたが、旧道や古い街並みが少なかったと思います。そうした中で本文に記載しましたが、徳次郎宿~鉢石宿間の杉並木は文化遺産であり、当時を偲ばせる雰囲気があります。距離は25Kほどであり一日で歩けますのでお薦めできます。
 今回の道中も観光協会・国道事務所、そして訪れた各地の多くの方の人情や親切に支えられたもので紙上を借りて御礼申し上げます。

石川 幸二
 

100kmの標識

報恩寺
二荒山神橋にて