かわらばん地域版23号 2013年2月
株式会社コンテックス
 チャンスは外からしかやってこない!
南区上鶴間本町に株式会社コンテックスの近藤千奈美社長を訪問した。同社は、1983年に父である近藤藤一氏が産業機器開発の設計・調査・実験・分析業務を行うために創業し、近藤社長が跡を継いで9年。会社設立から30周年を迎えた今、従来の業務を基盤に顧客からのニーズをもとにし「翻訳・通訳部門」で新しい展開を進めている。
同社の創業当時に近藤社長は音大でピアノを学んでいたが、「これからは英語の時代だ」という思いが強く留学資金を貯めるためにアルバイトを始めようと考え、日本IBMへアルバイトを希望する書類を送った。返信が無い中で諦めない近藤社長は、人事部に連絡を入れ求人の募集がなかったことを知ったものの、面接を依願した。実現した面接では、「何がしたいのか」と聞かれ、「英語とコンピューターを学ぶためにアメリカへ留学したいのでアルバイトでお金を貯めたい。」と訴えたところ採用され、自身が計画していた通り1年後にアメリカ行きの切符を手にした。
アメリカでは、大学で2年間人類学を勉強し卒業したが、日本に戻りたくなかった近藤社長は、知人の紹介でニューヨークへ引っ越し、日本の文化を紹介する団体JapanSocietyで就職が決まった。入社初日は団体が主催する大きな展示会開催の1週間前であったために、「仕事を教えている時間はない。」と言われ、誰も教えてくれない職場環境の中で自分で仕事を見つける日々が続き、入社してからの1~2週間は半年分にも思えるぐらいの仕事量であったと言う。
仕事としては、大きな展示会で日本の重要文化財を展示する時にアメリカの専門家と日本の専門家との通訳や所属部長のアシスタント業務などがあり、明日解雇されるかもしれないという緊張感の中で、アメリカ社会での仕事は毎日が全力投球の連続であった。その結果、上司から認められ仕事を続けることが出来て、ビザも取得した。
アメリカでの社会人生活が落ち着いてきた中、「自分はどこで働くのか、自分のやりたいことは何か?」と自問し日本の両親の事を考えるようになった。一時帰国の時、事業を継ぐことを前提にコンテックスに入社したいと父親に申し出たところ、父であり前社長である近藤藤一氏は、「やってみればいい、ダメだったら次の人生を探せばいい」と言ってくれた。5年間過ごしたアメリカから1993年に帰国、株式会社コンテックスへ入社した。プログラミング、さらに人事総務関係の仕事を覚える中で、アメリカで働いていた時は団体事業での一業務を担当しているに過ぎず、日本に帰国して初めて“会社”と言う組織を実感をもって理解した。
ある時、アメリカの企業と共同研究をしているお客様から、英語が出来ないためにコミュニケーションがうまく取れないと相談された。ファックス文章の翻訳や通訳の手伝いをする内に、英語マニュアルの翻訳依頼が持ち込まれるようになり専門用語が理解できるようになった。これが現在の新規事業部門である「翻訳・通訳部門」を起ち上げる契機である。
「お客様が困っていることに自社のリソースを使って対応を考えること、それによって商売のチャンスは広がる。チャンスは外からしかやって来こない!自分が知らない困り事はチャンスに繋がる。」を実感し、お客様が求めている事が何か解るようになってきた。
海外進出を視野に入れる中小企業にとって、外国語と言う言葉の壁は小さくない。そのような中小企業のお役に立ちたいと、専門用語に精通した同社は、海外進出を目指す企業の為のスターターパック(外国語PRパンフレット作成、外国語メール問い合わせ対応など)の発売を昨年開始した。
事業を継承して9年目、「お客様に喜んでもらえた時が何よりも嬉しい。」と話す近藤社長は、更なるサービスを模索している。
株式会社コンテックス
代表取締役 近藤千奈美
所在地 :相模原市南区上鶴間本町4-9-7庄井ビル2F
従業員数:18名 資本金:1千2百万円
売上高 :1億4千7百万円(平成23年度実績)
事業内容:
○産業機器の開発に関する実験手法・装置の立案、設計、製作 ○産業機器の技術開発に関する調査委、実験、分析 ○汚水処理の技術開発に関する調査、研究、実験、分析 ○プログラム開発、技術提供及び保守 ○産業翻訳及び通訳 ○技術者派遣事業