半導体製造装置・真空装置の部品加工を主業とする株式会社第五電子工業の水田光臣社長を相模原市緑区橋本台2丁目の本社工場に訪ねました。
同社は水田社長の義父である五十嵐文男氏によって、1960年7月に「第五プレス工業」として創業され、半世紀以上の業歴を有するまさに老舗企業の一社である。
同社は半導体製造装置の部品製造を得意とし売上の約70%を占めている。半導体を製造する過程において、拡散炉にてウェハを高温で酸化させる工程がある。90%以上が溶接作業となる高熱ウェハを冷却する冷却部品や冷却ユニット(ラジエータ)を中心に製造している。取り扱う主な金属材料はステンレスであるが、ステンレスは塗装が不要のため、溶接の仕上がりの美観が重要な品質要素となる。同社は溶接に重点を置き、一般的なTIG溶接をはじめ、ファイバーレーザー溶接、プラズマ溶接、ロボット溶接、自動溶接など多彩な溶接ニーズに対応している。その他、水路付チャンバー、ジャケット構造品などの水密溶接品も手掛けるなど幅広い。
このように、第五電子工業の強みの一つは機密性に優れた溶接技術である。品質管理体制はISO9000に準拠するとともに製造から廃棄までのトレーサビリティーも厳格に管理されている。その他、BCP(事業継続計画)にも積極的に取り組み、建屋の耐震補強工事の実施をはじめ顧客データや加工プログラムのバックアップ、代替生産委託のネットワーク構築などがあげられる。高い技術力に裏付けされた品質だけではなく、こうした取り組みが大手取引先からの高い信頼と社員のモチベーションアップに繋がってい
るのだと水田社長は言う
。
水田社長は東京都稲城市の生まれで、就学前に相模原市淵野辺に移ってこられた。東京都立大学(現:首都大学東京)土木工学科を卒業後、住友金属工業に就職し建設技術部へ配属となった。その際、建築設計をはじめ建材を売るための企画・取り纏め業務から行政などへの営業など幅広い業務に携わってきた経験を持つ。 その後、住友金属工業を退社し第五電子工業に入社したのは1997年のこと。日本の経済情勢が大変厳しい時代である。入社早々「営業部長」を任され、睡眠時間はほとんど無いくらい営業活動に東奔西走されたそうだ。そして水田社長が三代目代表取締役に就任されたのはリーマンショックの翌年20 0 9年であり、近年まれにみる深刻な景気後退局面に入った時期である。いずれも厳しい時代に転換期を迎えた水田社長は、時代の変化と顧客ニーズを的確に捉えた上で、組織体制や設備投資、リスク管理などの改革に積極的に取り組んでこられた。「あまり過去にこだわらず未来に向かって進むポジティブ思考」がとても印象的な水田社長だ。
近年では各種溶接ロボットの増設を推し進められ、現在本社工場及び第二工場に4台の溶接ロボットが設置されている。その内の1台は相模原市産業用ロボット導入補助金を活用したTIG溶接ロボットの導入である。ロボット導入にあたっては段取り替えに伴う稼働停止などの諸問題があるが、若手をはじめとする社員が様々なアイデアを出し、創意工夫しながらロボット稼働率を10 0%にさせたことから生産性は大幅に向上したそうだ。現在同社の社員数は約6 0 名、自ら発言し行動してくれる人材が多いと水田社長。特にここ数年は新卒採用が堅調に推移し、ベテラン技術者から若手へ、技術の伝承を進めて他社からも羨まれるほどだとか。これもロボット導入効果やBCPなどにも積極的に取り組むほか“コミュニケーション”を大事にする職場風土が構築されているからこそではないだろうか。
今後について水田社長は、当面は半導体分野に注力しながら原子力レベル(*1)にも対応可能な溶接技術への更なる進化と成長のため、必要な設備や人材採用への先行投資を惜しまず行ってゆく。また、電気自動車・航空宇宙・AI分野やチタンなど材質面でも幅を広げ、年商二桁億を早期に達成したいとチャレンジ意欲旺盛に語る。
企業理念にもある通り、同社は10 0年継続企業を目指して、未来に向かって絶え間なく挑戦を続けている。そんな第五電子工業さんに心から「エール」を贈りたい。
(*1) 原子力発電の核融合炉の溶接技術レベルのこと。溶接業界の最高峰の技術
株式会社第五電子工業
代表取締役 水田 光臣(みずた みつおみ)
所在地:相模原市緑区橋本台2丁目7番23号
従業員数:60名(パートを含む)
売上高:9億円 (2017年 4月期)
事業内容:半導体製造装置・真空装置の部品加工
URL:
http://www.netdaigo.com/