オリジナル真空炉を駆使した金属熱処理加工を主業とする株式会社橋本熱処理の荻野秀隆社長を相模原市中央区南橋本の本社工場に訪ねました。
同社は1977年3月に荻野秀隆社長の実父である荻野久一氏(現会長)によって創業され、40年余りに亘る業歴を有する地元企業である。1982年の真空炉1号機導入を皮切りに1987年には竪型の真空炉2号機を導入、1991年には素材調質・浸炭・ソルトバスなどの熱処理装置を廃止し、全て真空炉での操業に転換を図った。その後も油冷装置付真空炉、加圧冷却装置付真空炉を導入するなど積極的な設備投資を行ってきた経緯がある。これらの設備投資は多額の資金を要することになるが、同社における品質への強い「こだわり」がオリジナル真空炉の設置などをはじめ積極的な設備投資に繋がっているのだろう。
中間処理(特殊工程)である熱処理は鋼やステンレスなどの金属材料に加熱と冷却を加えて形を変えることなく性質を向上させる重要な加工である。また変化させる性質については、強さ・硬さ・粘り・耐衝撃性・耐食性・被削性・冷間加工性など多岐に亘る。さらに処理方法については「焼入れ」「焼戻し」「焼なまし」「焼ならし」などがあり、硬くしたり、軟らかくしたり、錆びにくくしたり、表面を均一化したり、様々な目的のために行われる極めて重要かつ高度な技術が要求される。同社が手掛ける熱処理加工は、ロール製品や電子部品から自動車・食品・化粧品関連など幅広い。これら多くのニーズに対応するには様々な金属素材の性質を熟知していることは勿論のこと、高い技術力が必要となる。またメートルを超える長尺物の加工は非常に曲がりやすく困難を極める。そんな中、同社では1000㎜を超える長尺物において竪型真空炉と精度を高める技術者のノウハウで、反りや曲がりを0.1㎜単位の極限まで抑えた熱処理加工を実現している。まさに、これが同社の強みの一つとなっている。
ものづくりの町で知られる大田区生まれの荻野社長は、小学生の頃に横浜市へ移られた。趣味は体を動かすことで、以前八王子市に住んでいた時に入ったソフトボールクラブに今も所属されている。ソフトボールを通じて様々な仕事に就いている仲間とプレーしたり、会話をしたりすることで健康維持やリフレッシュに繋がっているとのこと。
そんな荻野社長は「刀」(日本刀)が大好きだそうだ。いわゆる日本刀の製造は金属加工・ものづくりの原点なのだと言う。砂鉄を原料として伝統的な製鉄方法「たたら吹き」で精錬、炭素の少ない「軟らかい鋼」を背に「硬い鋼」と組み合わせることで切れ味が鋭いのに折れにくいものにする。次に槌で打って鋼を圧着し、形を整え鍛造効果で硬度が増す。そして水焼入れを施し、焼入れ速度を調整しながら刃先を硬く、刀身をしなやかにさせるのだが、この工程が熱処理にあたり、最後に研磨(研ぐ)し仕上げていく。こうした製造工程で鍛え上げられた日本刀は超鉄鋼に匹敵する極めて小さい針状の結晶が絡み合い強度を高める微細な組織を形成するのだそうだ。荻野社長の「刀」の話は尽きない。
さて、荻野社長が代表取締役に就任したのは20 02年。社長就任後も「徹底した品質管理」を唱える荻野社長は、生きている鉄に「寿命を与える」ことが私たちの仕事であり、熱処理職人は鉄の専門医のような役目があるのだと熱く語る。現在同社には営業担当者がいないそうだが、優秀な専門医は口コミで患者さんが来てくれる。きっと「㈱橋本熱処理」はそのような存在の会社なのだろう。その結果、各地の同業者や取引先企業から金属加工に関する相談が後を絶たず、講習会・セミナーなどの開催を依頼されることも多く信頼も厚い。
このように徹底した品質管理を実現していくために社員も各種技能士資格を取得し知識や技術ノウハウを磨いている。また正確な測定ができるように検査機器の日常点検及び定期点検を実施すると共に専門外注業者による点検・校正を充実させISO9 0 01( 品質管理)認証を取得中とのこと。そんな同社では「橋熱品質」をスローガンに掲げ、社員全員が徹底した管理体制のもと作業を行っている。
今後、燃料費(電力)の高騰による収益性への影響や量産品拡充などの課題を克服していくことが大事だと荻野社長は気を引き締める。これからも鋼の特性を最大限に引き出す「熱処理のプロ」集団として、品質管理向上に対する同社のチャレンジに終わりはないようだ。
株式会社橋本熱処理
代表取締役 荻野 秀隆(おぎの ひでたか)
所在地:相模原市中央区南橋本4-10-8
従業員数:13名
資本金:1500万円
売上高:2.0億円
事業内容:一般熱処理、真空焼入、真空焼鈍、高周波、タフトライド
URL:
http://www.hashinetu.co.jp/