かわらばん入居版71号 2010年4月
石川の日光街道 道中記 第5回
 ― 22年4月4日(日)小山宿~雀宮宿 ―
5時34分に東林間駅を出発し7時51分小山駅到着。小山宿は元和3 年(1617)に宿場として成立し、北関東の交通の要であった。市庁舎前に慶長5年(1600)に家康が石田光成との関が原の戦いを決意した小山評定跡がある。元須賀神社・寶性院を巡り、小山一族の墓がある天翁院には樹齢400年以上といわれる槙の木が鬱蒼と茂っている。興法寺の地蔵尊のお顔には戌辰戦争の弾痕が残っている。
9時10分線路脇に水仙の咲いている両毛線の踏切を横断して、程なく喜沢の追分になり、交差点のかたわらには馬頭観世音の石仏がある。右手の細い道が旧道であり少し先の林の中には一里塚もあって雰囲気は感じられるが、まもなく宇都宮線に沿って歩くようになる。旧道は線路の反対側であるがすでに消滅している。4号線に戻るとすぐに新田( しんでん) 宿に入り、まもなく四脚門の本陣跡がある。案内の地図には水路に隣接した旧道があることになっているが、昨年10月にカラー舗装の遊歩道になっていた。2km ほど進むと小金井宿に入り、ここには江戸から22 番目の「小金井の一里塚」がある。櫟( くぬぎ) と榎の2 本が植えられてほぼ原型を留めているところから、日光街道で唯一国の史跡指定をうけている。さらに本陣跡を示す門や建久7年(1196)創建された古刹の慈眼寺・金井神社や民家が続き自治医大前で4号線と分かれ旧道に入る。旧道は農道と
して主に利用されているようで、左右には青々とした麦畑や、これから耕す畑に石灰が蒔かれ春到来を告げている。30分ほどで雑木林に行く手を阻まれてしまい、右折して再び4 号線に出る。352号線との交差点には夕顔橋の石仏が10 体並んでいる。すぐに石橋宿になり愛宕神社で昼休みの後、ほどなく右手にメルヘンチックな石橋駅が見える。石橋町はグリム兄弟の出身地と姉妹都市を締結していて、「グリムの里」造りをしているようだ。北関東自動車道を潜り、花見に賑わう自衛隊宇都宮駐屯地を左手に見ながら進むと雀宮宿に入り、東京から99km の道路標識を過ぎると、交差点角には脇本陣の門構えと板塀の芦谷家がある。14:35雀宮駅に到着、帰宅の途につきました。本日の街道距離は20.6km でした。
つづく
訂正:先月号で神鳥谷( かみとりや) と記載いたしましたが、正しくは神鳥谷( ひととのや) でした。お詫びして訂正いたします。