かわらばん入居版70号 2010年3月
石川の日光街道 道中記 第4回
 ― 22年3月14日(日)古川宿~小山宿 ―
古河駅に7時39分到着。古河は江戸から8番目の宿場で、江戸時代は譜代大名の城下町で、将軍が日光参拝のときには古河城に宿泊されることが慣例であり、茨城の小京都といわれるほど栄えた宿場であった。
街道に出るとすぐ左手に高札場跡があり、斜め向かいには下本陣跡の碑が立っている。左折してすぐに神宮寺がありほどなく常夜灯を備えた3m以上もある石造りの道標がある。街路灯には「古河宿」の旗が下がったよこまち柳通りにかかる。昔は花街があった地区であったというが、当日は町会全体の清掃日のせいか多くの人々が従事され、朝の挨拶もして下さり大変気持ち良く歩く。まもなく4号線と合流するが少し手前で栃木県に入った。左手に野木神社の参道があり鳥居を3つ潜ると社殿に着く。野木神社は仁徳天皇の時代に祀られ、その後坂上田村麻呂によりこの地に遷宮されたという歴史がある立派な社で、脇には二輪草が咲き始めたところで、早朝にもかかわらず写真愛好家が咲き始めた可憐な花を撮影していた。
まもなく野木宿入っていくと満願寺の前には十九夜信仰の石碑が建っている。女性だけで安産や子育てを月に祈願したという信仰で、この地方ではかなり流布していたようである。法音寺・友沼八幡神社をすぎると小山市に入るが、旧道は消滅していて4号線をひたすら歩く1.5km 先の乙女八幡宮参道脇には梅が満開で、2週間位相模原より遅く、北へ向かっていることを感じる。
11時30分に従姉の嫁ぎ先で間々田駅前の「小川屋」で昼食をとる。JR の「小さな旅」にも紹介されたお店で、お蕎麦が大変美味しく少々食べすぎてしまった。重くなった腹で歩くこと15分で、間々田宿入口の「逢の榎」となる。江戸と日光の中間に位置することから「間( あい) の榎」といわれたがのちに縁結びの「逢( あい) の榎」になったとか。龍昌寺・浄光院を過ぎ33号線を横切ると西堀酒造が現れ、「小山宿」という銘柄の酒を購入する。少し先には安房神社が美しい社殿で出迎えてくれる。粟宮交差点で4号線と分かれ265号線にすすみ、神鳥谷( かみとりや) 東で50号線を潜ると小山宿に入り、持宝寺・須賀神社・脇本陣・常光寺を巡りJR 小山駅にやっと14:45 到着。
今回の区間は、親戚の家や墓もあり毎年訪れてはいるが特定の寺社だけで、はじめてゆっくり見学したので、街道距離は16.5km しか歩けませんでした。
つづく