かわらばん入居版64号 2009年8月
石川の東海道 道中記 第11回
 ― 平成21年5月17日(日)鈴鹿峠~水口宿 ―
窓ガラスを「コツコツ」と叩く音で目が覚めた。昨晩、女将さんが「烏がガラスを叩くかもしれません」と言われていたので覗いてみると、二羽のカラスが頻りと叩いている。10分ほどで音が途絶えるとともにまた寝入ってしまった。7時起床、慌てて身支度を整え朝食をいただき、8時出発。
八丁二十七曲りと呼ばれ箱根の峠に匹敵する難所と言われた鈴鹿峠を目指す。幸い昨日のうちにかなり登ってきていたので急勾配ではあるが30分程で峠に出る。霧が立ちこめ峠は薄暗いが、しばらく行くと茶畑が左右に見られ周囲の視界が広がる。まもなく国道1号のトンネルの上に、「万人講大石灯籠」が立っている(写真)。江戸時代中期に四国の金毘羅参りの常夜燈として立てられたものでここからは滋賀県に入る。旧東海道は国道1号線に沿っているが、脇の畑には“猪避け”と思われる、かなり頑丈な柵が巡らしてあるところが多く、山中であることを改めて知らされる。東京からの距離は434kmを示し、新名神高速道路下を通過するころには有難いことに薄日がさしてくる。
5km ほど下ると、広重の「土山・春の雨」に描かれたと思われる海道橋を渡り、右手には鈴鹿峠で人々を苦しめていた鬼を退治した坂上田村麻呂が祀られている田村神社がある。
道の駅を過ぎると土山( つちやま) 宿に入る。宿役人や馬子など問屋場の風景を原寸大で再現した 東海道伝馬( てんま) 館があり、展示物の人馬が意外に小ぶりな感じがする。すぐ先には将軍や皇族が宿泊された土山本陣があり宿場の面影を偲ばせる。野洲川と1号線の間を西進すること10km 程で水口( みなくち) 宿の東端となり、見附跡が復元されている。
水口宿は古くから東国あるいは伊勢への道が通り天正13年(1585)に秀吉が水口城を造らせてから東海道の50番目の宿として発展したようだ。街道は間もなく三筋に分かれ、各々の道には旅籠や商家が建ち賑わったという、これまでに見たことのない変化のある街となっている。近江鉄道本線の水口石橋駅到着12:37、歩行距離は20.4km でした。
つづく