かわらばん入居版59号 2009年3月
石川の東海道 道中記 第6回
 ― 平成21年3月7日(土)岡崎宿~宮宿 ―
名鉄の東岡崎駅8:36着。早速、前回に続き城を防衛するために作られた折れ曲がった道が「二十七曲( まがり)」であるが、西本陣・御馳走屋敷跡等を道標識に従って歩く。
家康が生誕の岡崎城の公園では、亀の背中に乗った「人の一生は重荷を負うて-----」の東照公遺訓碑や遺言碑が天守閣の入り口に建立されている。公園の中と八丁味噌蔵付近にはNHKドラマ「純
情きらり」がロケ地であったそうで、俳優の手形とサインのブロンズがポイントに散在している。
江戸時代には東海道最長の木橋だった矢作橋を渡り知立宿(昔は池鯉鮒( ちりふ))に向かうが、今日も風が強く速度が上がらない。1時間ほど行くと、永安寺の大蛇がとぐろをまいたような枝振りの“雲竜の松” が見られる。小休止の後、往時を偲ばせる「知立の松並木」は古木が多く見事で、毎年馬市が開かれ馬を繋ぐ側道が両側についているのが特徴である。少し先の知立神社には多宝塔があり平安時代(850年)の創建と伝えられ、現存のものは室町時代に再建されたもので三間二層塔婆、杮葺屋根( こけらぶきやね) が美しい。
鳴海宿に入り中京競馬場をすぎると、今川義元と織田信長が雌雄を決した桶狭間古戦場跡が公園になっていて義元の墓がある。当時、狭間であった地形はほとんど知ることはできないが、公園の右側は小高くなって高徳院、桶狭間記念館がある。
宮の宿までの間の宿( あいのしゅく)有松は尾張藩の振興策で“有松絞り”で繁栄した街で、塗籠造りなまこ壁の立派な商家が続き中でも服部邸(井桁屋)(写真上)は「うだつ」(写真下)
がその豪壮さを表わしている。家並みの素晴らしさに時間をとられ宮の宿に入ったのは夕方5時になり、笠寺観音・長楽寺・湯浴地蔵をすぎたころには日も暮れてしまい、名鉄神宮前駅着6時、今日の距離は33kでした。
服部邸(井桁屋)
うだつ