かわらばん入居版58号 2009年2月
石川の東海道 道中記 第5回
 ― 平成21年1月18日(日)吉田宿~岡崎宿 ―
豊橋の宿を6:15 に出たが、名鉄の急行と各停の乗り継ぎが悪く、小田淵駅より出発したのは7:15 となってしまった。国府駅を過ぎると御油( ごゆ) 宿となる。連子格子( れんじごうし) の家屋が多く雰囲気の良い宿場で、東海道で「松並木が一番残っている道中」として期待していたが、その場所に着いてがっくり。「舗装工事中」の看板が立ち、600m 続く松並木は砂埃が立ち昇り興ざめした。ただ、250 本以上あるという黒松は壮観であり、是非再度訪れたい風景である。
ここを抜けると赤坂宿に入る。昔の佇まいの旅籠の大橋屋がある(写真)。美人画の看板が2階から街道を往来する人を見ているようである。享保元年(1716 年)の建築とか。
一里ほど行くと街道と名鉄の線路が並行するようになり、やがて家康の先祖である松平一族の墓と近藤勇の首塚と胸像のある方蔵寺がある。山門もある立派な伽藍の寺である。
次の藤川宿は入り口に広重の絵にもなった「棒鼻( ぼうばな)」が平成5 年に復元されている。棒鼻とは宿場の出入り口のことで、一度に大勢の人が入らないようにしたものらしいが、「駕篭の棒先」の意味からきているとも言われているようだ。宿の資料館には高札や本陣文書が展示され
ている。
岡崎宿の手前に太平の一里塚跡があり、近くに「大岡裁き」で有名な大岡越前守忠相の陣屋跡が高麗門の立派な門構えで復元され、中は庭園になっている。
岡崎インターチェンジの地下通路をくぐると、いよいよ岡崎宿に入る。欠町の三叉路に冠木門があり、「岡崎の二十七曲がり」がスタートする。標識は整備されていて判りやすく伝馬町まで進んだ
がそろそろ時間となり、伝間の交差点を左折して東岡崎駅に向かい13:50 帰路についた。本日の歩いた距離は23kでした。