かわらばん

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     SICの歴史
かわらばん入居版74号 2010年7月

SIC 歴史のはじまり vol.1
 さがみはら産業創造センター(SIC)も入居していただいた皆様に支えられ11歳となりました。そこで、今回から数回に分けてSIC の誕生に関わった人達を紹介しようと思います。
 第1回は「産学共同研究開発支援施設に関する検討会」です。相模原市は地域産業の活性化のため大学・研究機関と産業界を結ぶ拠点整備を計画していました。行政が考えたこの計画
を産業界の視点で再検討したのが検討会です。この検討会での議論から新規創業に重点を置いたSIC が誕生することになります。
 検討会のメンバーは11名。市内の若手経営者と相模原市や商工会議所の若手スタッフ。その当時の名簿を見ると30代が7名、40代が4名。現在、SIC の取締役を務めている権田さん、小俣さん、松岡さんもメンバーの一員でした。私も相模原市の若手職員として参加していました。また、事務方として検討会を支えていたのがSIC-1にいる稲垣さん、市役所を辞め自ら起業してしまった小俣さん。こうしてみるとこの検討会はSIC の母体となった組織と言えます。
 1998年4月28日に第1回の会合が相模原市産業会館の国際商談室の一角で開かれました。メンバーも働き盛りで忙しかったため11時30分集合、弁当を食べながら議論を始め13時30分解散といった具合です。その場での真剣勝負でした。施設建設に非常に懐疑的で「施設整備ではなくソフト支援を重視すべきだ」、「既存施設の改修で対応すべきだ」と主張するメンバーもいましたから議論は白熱しました。私は進行役でしたが、「施設整備は断念せざるを得ない」と考えたほどでした。学識経験者の話や東海大学や慶応大学の訪問も含め11回開催し、同年の12月に相模原市長に提言を提出しました。
 提言のポイントは2つ。
1つが民間による経営。スピードや柔軟性が非常に重要であり自治体や財団ではなく新に会社を作って経営すべきである。
2つ目が低廉な施設づくり。賃料を低く抑えるためにも無駄を省いたローコストな施設とすべきである。
 提言書を改めて読んでみましたがSIC の基礎はここにあると再確認しました。今後もここで示された精神を活かしていかなければと思います。

【提言骨子】○施設整備のねらい
相模原市や周辺地域の持つ産業や研究機関の集積を活かし、新しい産業の創造、最先端技術の研究開発、基盤的な技術・技能の継承などを地域全体で推進する拠点づくりを進める。
また、そうした技術や情報を世界に向けて発信する。
○機能
・企業のOBなどをコーディネータとして迎え、新規創業の立ち上げ期支援、産学連携の仲介、技術相談を行う。
・ 新規創業や共同研究を支援するため低廉なスペースを提供する。
・地域企業の経営層の意識啓発や技術者の育成を行う。
○運営
・民間の活力、人材、企業経営のノウハウが反映できる組織が運営すること。
・地域企業が参画できる組織とすること。特に次世代を担う産業人の参加が望まれる。
・したがって、地域企業と行政による共同会社を設立し、事業実施を行うことが必要である。事業を行うにあたっては、採算性を重視すること。
○施設
・当初は必要最小限の建物とし、必要に応じ順次整備すること。
・機能を重視し、無駄を省いた低廉な施設とすること。
・貸しスペースの設備については電気、ガス、上下水、通信、空調など基本的な機能のみとし、それ以外の設備については後日入居者が設置すること。
【検討会のメンバー】
権田 源太郎:権田金属工業( 株) 小俣 邦正:( 株) 昭和真空
松岡 康彦:湘南デザイン( 株) 河本  悟:東邦電子( 株)
小林 孝至:クニミ工業( 株)  尾崎 一朗:尾崎ギアー工業(株)
布施 昭愛:相模原商工会議所 林 晃:相模原市産業振興財団
山本 満/小俣 晃之/稲垣 英孝:相模原市        
                          つづく