かわらばん

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     SICの歴史
かわらばん入居版99号 2012年7月

証言で綴るSICの歴史
   ~創業の一時期に参加して~ 野村会計事務所 代表 野村 隆
平成11年4月に株式会社さがみはら産業創造センターが設立されインキュベーション事業を開始いたしました。

 私は神奈川県内及び相模原市内企業の企業診断・経営相談指導に携わっていたことから、インキュベーションセンター設立に際し、監査役に選任されて、平成24年6月退任するまでの間、多くの経済界・行政関係の方々とお付き合いさせていただきました。
 SICのこれから永く続く歴史の中の創業の一時期に参加出来たことを光栄に思います。

 私は本田技研工業に勤務した後に公認会計士事務所に入り公認会計士になって、監査法人制度が出来る前の監査に従事し、独立してからは神奈川県商工部、川崎市経済局、相模原市経済部から企業診断・商工相談員の委託を受けて県内の工業団地の協同組合の設立診断に係わりました。
 相模原市内では機械金属・峡の原・清水原・赤坂の工業団地協同組合及び組合員企業はじめ企業の経営相談・資金貸付診断に関わり、経営者にお会いしました。当時の代表者は殆ど世代交代されています。現在相模原の中堅となっている企業の成長を側面から見ることが出来て大いに知識を得ました。
 需要の変化等で倒産・廃業したり、株式公開したのちに破産した企業にも関わりました。
 田名塩田に工業団地を造るにあたり個別企業の分譲診断高度化資金利用の工業団地、環境事業団資金利用の工業団地の協同組合・組合員企業診断にも参加しました。

 
 SICはバブル経済崩壊からほぼ10年を経て、日本経済が金融危機から脱出しつつある頃、停滞する経済を活性化させるために、起業家の登場を促すべく、国の施策に相模原市が勇断を持って、率先して呼応して設立したものでした。
 既に川崎市溝の口に県が出資したKSPがインキュベーション施設として研究施設を持ち、起業家を支援していました。
 インキュベーションという用語はKSPの設立に関わった行政の人から教わったもので、この言葉はあまり普及しておらず、中小企業の経営者にも説明しないと意味が通じないくらいでした。

 しかし、この時期はまだ年間上場企業数は年間200ありました。
(次号に続く)
野村先生
子どもアントレにて
ジュニアアントレにて