かわらばん入居版102号 2012年10月
証言で綴るSICの歴史
 株式会社クリエイト 代表取締役 小俣 晃之
今月号から、数回に分けて、小俣 晃之さんに、SIC創業当時を振り返り、エピソードなどを熱く語っていただきます。小俣さんは、当時相模原市の職員としてSIC誕生に深くかかわったメンバーのお一人です。
SIC(相模原市)を退職してから、早いもので12年が経ちました。現在は新潟県長岡市で研磨を中心とした部品加工業、研磨機、切削機、研削機、洗浄機などの装置や周辺の消耗品の販売を商いとしております。不景気や数々の世界的な危機の影響を受けながらも多くの人に支えられ事業を続けています。ご支援いただきました皆様には厚く御礼申し上げます。
さて、今回、SICの立ち上げ期について熱く語ってくれというオファーをいただきました。普段物忘れも増えてきた今日この頃ですが、12年たった今でも、当時のことは、不思議と覚えています。たくさんの想いが今でもありますが、今回は少しお伝えしたいと思います。
SICは、相模原市経済部(当時)が、「新たな産業を創出するために何ができるのか・・・」ということを真剣に考え、もがいた上に始まったプロジェクトの一つでした。当時の経済部は個性あふれる人間であふれ、個々の様々な取り組みもあふれていました。縄張り争いのようでもあり、武功をたてたい武士の集といった感じでしょうか。しかし、それは私欲ではなく、産業の発展のために何とかしたいという【職員の熱き想い】のぶつかり合いでした。(少しは、自分がやったという自己満足もあったと思いますが・・・)
スタートは14年前。世の中がミレニアムに湧いている時期でした。私はどっぷりつかっていた融資制度改革に目途もつき、引き継ぐ後輩も与えられ、かなり自由な立場になりました。相模原市が【新たな産業の創出】というテーマに向かっていた時です。何かやれることはないかと、いろいろな勉強会に参加し情報を集めていました。その中で、融資事務の中で技術面でのアドバイスをいただいていた技術士の佐藤善治先生から、産学連携が一つのキーワードであり、訪問する気があるなら紹介すると東京大学と慶応大学の先生を紹介されました。
何度か訪問し、市内企業発展のため大学研究室のテーマ発表会を開催しました。この発表会をきっかけに、ソフト中心の産業支援事業の充実が必要不可欠であるという方向性を見出していきました。他方、当時課題となっていた西橋本地域の再開発事業の中で、産学連携を推し進めるためのラボを建設するという検討開始のきっかけにもなったと思います。これらがSICの始まりです。
(次号に続く)