かわらばん

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かわらばん地域版12号 2011年4月

株式会社ハイスポット
   一人ひとりの社員が経営者のように考え、行動し、成功を勝ち取る
 相模大野の本社に株式会社ハイスポットの杉本社長を訪ねました。杉本社長、現在44歳。宮崎の日南市で生まれ、大学時代は鹿児島、富士通九州通信システムへの就職を期に川崎に。

 同社では電話交換機のシステム開発に携わる。仕事は面白くやりがいもあったがもっと大きな仕事がしたいとの思いが強く4年目で退職する。実力もあり、またバブル期で仕事はいくらでもあったので、フリーのほうが稼げたという状況も独立を後押ししたようだ。

 そして、1997年に、川崎市五月台の小さなアパートで有限会社ハイスポットが誕生する。1999年には元の会社の同期2人も加わる。2003年に相模大野に引越し現在に至る。相模大野を選んだ理由は取引先が新宿と新松田にあったのでその中間の相模大野を選んだそうだ。

 この時、従業員は8名。2002年に神奈川県中小企業家同友会に入会、2003年に相模原中小情報処理産業振興会(Sasiia)に入会と少しづつ業界や地域と関わるようになる。
 そして、転機となったのが2004年の相模原市青年工業経営研究会(通称:青工研)への入会。杉本さんはここでの経験をいくつもの言葉で表現する。

「裸にされた」「磨かれた」「強くなった」「発想の枠が広がった」。今でも付き合っている総合ロックの太田社長や共伸テクニカルの桑原社長など地元相模原の経営者と出会ったのもこの時。月に1回開催されるブロック会はとても刺激的で、10人位の仲間と本気で本音で議論したという。

 お互いがお互いの会社の問題、課題をとことん議論する。突き詰めていくと原因は「経営者自身」なのだと。杉本さんもブロック会に社内体制や経営計画などのテーマを持ち寄ったが、「弱い自分」や「独りよがりな自分」に気づかされたという。社長という立場は批判されにくい立場、本当のこと、痛いこと言ってくれる人は社内にはいない。青工研での体験は得がたいものだったろう。

 2008年に社員40名、売上3億6千万を達成するが、リーマンショックで売上が大きく落ち込み3億円を割る。少しずつ回復してきているが、スタッフの派遣や請負を続けていたらまた同じことが繰り返されるという危機感がある。同社には画像や通信に関する技術や医療分野で培った経験とノウハウがある。時間はかかるが、これを武器に自社製品を持つメーカーへの脱皮を目指している。

 今、アンドロイドを搭載した携帯端末でCT画像を見ることのできる医用画像システムの開発に取り掛かっている。営業力強化も優先課題とし、地域密着型ITサポート事業も立ち上げた。インターネットを活用した集客UPのノウハウを販売するホームページ制作支援サービス「イジロボ」がその先鋒だ。また、複数の企業がそれぞれの特技を持ち寄り、ビジネスを発展させるためにソフトウエア企業の工業団地ビルのような構想も考えている。

 最後に、どんな時に経営者として喜びを感じますかと聞いてみた。一つ目は、今まで手がけたことがないハイレベルな仕事を受注した時。ハイスポットの実力が顧客に認められたこと、信頼を勝ち取ったことがとてもうれしいと言う。二つ目は社員の成長。長期の海外出張から帰ってきた社員が自主的に何でもやろうという姿勢に変化していた時すごくうれしかったそうだ。

「一人ひとりの社員が経営者のように考え、行動し、成功を勝ち取る」そんな会社を目指している。
杉本社長