かわらばん

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かわらばん入居版88号 2011年8月

証言で綴るSICの歴史
   さがみはら子どもアントレプレナー体験事業
 さがみはら子どもアントレプレナー体験事業も、皆様に支えられ10回目を迎えました。そこで今回は、事業創設に携わった方の証言をもとに、子どもアントレの歴史を振り返ります。

相模原市消防局消防総務課 主査 植村 哲哉

 平成9年に相模原市経済部産業振興課に配属され、部内の若手職員で非公式のワーキングを開き、産業に係る人材育成をテーマに話し合ったところ年代的に小中学生が参加できる事業が少ないことを感じたのが、そもそものきっかけです。
 縁あって、平成12年10月からSICで仕事をすることになり、そこでスタッフの安藤さんと出会いました。私のぼんやりとした「思い」と安藤さんの人脈、行動力が合わさり、「子ども向けの起業家教育事業」の企画が少しずつ形になり始めました。

 基本的なプログラムは早い時期からアントレプレナー教育をスタートさせていた株式会社セルフウイングから提供を受けること、親元から離してキャンプ形式で開催すること、商品を販売する場所の選定など、企画が見えてきたので「子どもアントレプレナー体験事業」の企画書を書きました。宿泊費、食費相当額を参加費として、それ以外に200万円程必要でした。
 当時の里見専務に企画書を見せたところ「事業費はSICからは出せない」と言われ、「市内企業から協賛金を集めます!」と勢いで返事をしました。他に方法が思いつかなかったのです。その時は、200万円もの協賛金が集まるあても無く企画書はそのままお蔵入りになるところでしたが、専務がSIC初代社長の松井さんに協賛をお願いしてくれたのです。すると、松井さんはその場で事業が実現できる額の協賛を約束してくれました。本当に驚きました。実現できる!という喜びと、本当にできるんだろうか?という不安とが入り混じった気持ちでした。
 SICでは協賛金で事業はできないので、実行委員会を立ち上げ、協賛依頼の用紙など必要な物を買うため最初に自ら協賛し、それを原資に準備を始めましたが、応募があるのかなど本当に不安な毎日でした。

 松井さんの協賛だけでも事業はできましたが、より多くの市内企業経営者の方が支援する起業家教育事業を目指し、企画書を持って多くの市内企業を訪問しました。現在SICの役員の方を含め、多くの方の熱意で、協賛金は280万円程になりました。SICに入居していたスタジオハーツの田村さんがイメージキャラクターをデザインしてくれたり、お金ではない形での協賛もありました。

 応募があっという間に定員オーバーになったのは驚きでした。逆にプレッシャーもありましたが、なんとか当日を迎えることに。
 移動も多く、炎天下での活動もあったので、とにかく子どもたちの安全管理には特に気を配っていましたが、段取りが悪く、自分があちこち走り回っているうちに軽い熱中症になったりしました。
 決算が終わり解散するとき、保護者が迎えにきたのに4年生の子が1人いません。慌てて自宅までの間を走り回って探しました。「一人で帰ってきましたよ」と、後からご家族から電話があり、胸をなでおろしたことも。親元を離れて「なんでも自分でやる」ことを経験し、一人で帰れると思ったんでしょうか…。本当に恥ずかしい話ですが、今でも、何もなくて良かったと思います。

 イメージキャラクターは、男の子は私がモデル、女の子はその年の4月に生まれた私の娘がモデルです。私は、1年半という短い期間でSICを離れることになりましたが、「娘が参加できる年齢になるまで続けてほしい」と遺言を残しました。でも、まさか本当にここまで続くとは思っていませんでした。それも進歩しながら。この事業に関わった多くの方々の努力と熱意があってこそだと思います。
 子どもアントレを最初に考えたとき、最終的な成果目標がありました。それは、参加した子どもたちが成長し、市内に就職し、今度は支援者になることです。そして彼らの子どもが参加することで、相模原にアントレプレナーの輪が広がると。欲を言えばこの参加した子がSICで起業した!なんて夢みたいですが、最高ですね。
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