かわらばん

かわらばん

    
かわらばん入居版66号 2009年10月

石川の東海道 道中記 第13回
   ― 平成21年6月28日(日)草津宿~京都三条 ―
 いよいよ最終日である。5 時起床し、6 時50分、今日のスタート地点に立つ。市街地を進み、浄光寺・建部神社を過ぎると、「唐橋を制するものは天下を制する」といわれた「瀬田の唐橋」で、 擬宝珠( ぎぼし) と桁隠しが三大名橋の風情を出している。橋の上から見ると琵琶湖は朝靄がかかり蓬莱山であろう山頂が霞んでみえる。渡りきると京阪電車の唐橋前駅で、少し先の左手には唐風の特異な構えの家がある。後日、観光協会にお尋ねしたところ先代が漢文学者で「趣味でお建てになった」という話であった。JR 石山駅を過ぎ、NEC の工場を左手に進むと、膳所( ぜぜ) の城下で古い家並みが残り、2 km 程の道中に若宮八幡・篠津神社・膳所神社などがある。更に西進すると、木曽義仲と芭蕉翁の墓がある義仲寺に8:45 到着。拝観時間は9時からであったが、係員が早めに開門して下さり拝観することが出来た。寺の創建は不詳であるが義仲の死後愛妾の巴御前が墓所近くに草庵を結び日々供養したことに始まったと伝えられる。芭蕉は伊賀市の出身であるが、この寺と湖南の人々を愛し、たびたび滞在し「骸は木曽塚に送るべし」との遺言でこの地に葬られたという。1km ほどで大津宿の中心に入り、滋賀県庁が見え、大津事件碑、本陣跡を過ぎると京阪京津線に沿い登り坂になる。
 予想したよりも坂道がそれなりに厳しく、約2kmで登りつめたところが、「これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬもあふ坂の関」と蝉丸が詠んだ逢坂の関である。常夜灯と碑が立ち、近くには物資の運搬を楽にするため軌道のように花崗岩に溝を刻んで大津~三条大橋間12km 敷き詰めた「車石( くるまいし)」が並べてあり、先人の偉業に驚く。街道はここから下り始め追分を過ぎると旧三条通りとなり、山科からはいよいよ京都府内に入る。JR東海道線のガードをくぐると、天智天皇御陵を右手に見ながら坂を上る。気温は31℃をこえ猛烈に暑い。顔に塩が噴いている。 35 分ほどで蹴上( けあげ) を通過し、12:35 分ついに三条大橋到着した。橋の袂で「完全踏破」の写真を撮って帰路についた。

総集編につづく