かわらばん

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かわらばん入居版60号 2009年4月

石川の東海道 道中記 第7回
   ― 平成21年3月8日(日)宮宿~津島 ―
 昨日は日没で宮宿を見学できなかったので金谷駅から伝馬町まで行き、7:20 より姥堂・ほうろく地蔵を巡る。宮宿は熱田宿とも言われ熱田神宮の門前町として街道一の規模を誇ったそうだ。次の桑名宿へは直接舟で渡る(海上七里)か、天候の厳しいときや船旅に弱い人は佐屋まで陸路を行きそこから渡る(海上三里)旅路がとられた。渡し場は「宮の七里の渡し」と呼ばれ、渡し場跡には常夜燈と蔵福寺の時の鐘が復元(写真)され当時を偲ばせる。
 現在、船便はないので、桑名まで電車で行く方法もあるが、「完全踏破」を考えているので、歩道橋を渡り熱田神宮を右に見て佐屋街道を歩き始める。新尾頭の道標を左折して五女子・烏森と進むこと1 時間30分で岩塚宿に着く。多少古い町並みがあるも、宿の外れに八幡社があり小休止。次なる万場宿へは庄内川を舟渡ししていたそうで、川辺の秋葉神社に常夜燈が残っている。万場大橋を渡り
万場宿の國宝神社、すぐ先には聖徳寺から移設した山門の光圓寺がある。東名阪自動車道をくぐると「恥ずかしながら生きて帰ってまいりました」が帰国第一声であった横井庄一氏の居宅が今は記念館になっている。当時、戦後生まれの小生にとっても衝撃的なニュースであった。秋竹橋を渡ると七宝焼の産地へ入って行く。役場北交差点には「七宝焼原産地」の道標が立っている。
 神森宿は一里塚が出迎えてくれ、旧道へ曲がるとタイムスリップしたように静かな家並みとなり、今日一番の雰囲気の残る宿場であった。
 埋田追分には石造りの津島神社「一の鳥居」があるが、昭和34年の伊勢湾台風で根元の石だけで鳥居部分は流失し、被害が甚大であったことを物語っていた。佐屋まではあと4k程であるが13:30 となり、名鉄津島駅より帰路に着いた。今日の距離は19kでした。                      つづく