かわらばん

かわらばん

    
かわらばん入居版98号 2012年6月

動物アレルギー検査株式会社
   「自分が変わるとき、変われたとき」
【代表プロフィール】
動物アレルギー検査株式会社
代表取締役社長 増田 健一(ますだ けんいち)45歳
横浜市在住。大阪寝屋川市生まれ。
 趣味は剣道と家庭菜園。小学校から高校までは大嫌いだった剣道だが、娘さんと息子さんが始めたのをきっかけに39歳で再開する。その奥深さにはまっている。
 家庭菜園ではプランターでゴーヤ、ししとう、ピーマン、トマトを育てている。
 土や作物に触れる感触は何事にも代えがたい。
 そして、禅の本を良く読む。

【起業しようと思ったきっかけは?】
 小学生の時、セキセイインコを飼っていた。ある日、死んでゆくのに何もできない自分がいた。その時から動物病院の獣医になろうと思った。
 父親の転勤で、中学・高校は名古屋。大学は鹿児島大学の獣医学科へ進学し、6年間学んだ。関西に戻った父親が関西での就職を望んだことから、大阪府立大学の動物病院の研究生を経て、京都の動物病院に就職。
 獣医師としての自分の知識に疑問を抱き、動物病院を退職してイリノイ大学大学院へ留学。イリノイ大学では修士課程の傍ら、ラッキーにもリサーチアシスタントとなり、授業料が免除に。米国大学院の授業は、「研究費の獲得」、「申請書の書き方」、「統計学」など日本では教えない実践的な内容が多く、それが後に非常に役に立った。修士課程を修了した後には、東京大学大学院博士課程へ進学する。途中で獣医内科学教室の助手となって博士号を取得。36歳の時、理化学研究所がスギ花粉症の免疫療法を開発するために立ち上げた「免疫・アレルギー科学総合研究センター」の研究員となる。この研究センターでトップの免疫学者に研究とは何かをとことん鍛えられ、特許性のある発見を行うことができた。
 しかし、研究を続け多くの論文を書き業績を残しても、実用化へと発展させなければ研究の意味がないと考えた増田社長は、理化学研究所での発見を元に起業という大きな決断をする。

【事業紹介】
 アレルギー・免疫学研究の現場では、既存のアレルギー検査(IgE検査)だけではない、多くの免疫解析技術が利用されている。同社ではそのような多角的な検査システムをペットの臨床にて利用できるようにするため準備を進めてきた。犬のアレルギー状態を多方面から調べ、適切な治療の選択に直結する情報を提供。同社の検査システムでは、アレルゲン特異的IgEを定性的(陽性か陰性か)ではなく定量的に(Unit/ml単位で)測定することができる。それ以外にも、リンパ球反応検査、アレルギー強度検査の二つの新しい技術により、IgE検査ではわからないアレルギー反応の把握も可能となった。

 今日、ペットを取り巻く環境も刻々と変化し、現在では家族の一員として認知されるようになった。そのため、動物病院の診療に対する要望も年々高度に複雑になりつつある。そのような社会的ニーズに応えるため、同社は、最先端の研究成果を一般的に使えるように工夫し、動物病院で必要とされる医療を常に提供している。
 起業から5年、セミナーや口コミで浸透し、現在では国内3000を超える動物病院から検査依頼があり順調に普及してきている。

【辛かったこと、嬉しかったこと、そして、これからの夢は?】
 これまでで一番辛かったことは研究者から経営者になった時。研究者は自分の主張や信念を簡単には曲げない、我が強くなければやっていけない。東大の助手時代は自己主張が強く鼻持ちならない研究者だったそうだ。一方、経営者は社員、研究機関、顧客と調和してチームワークで成果をだしていかなければならない。自己主張しない、まったく逆の人格が求められる。人は簡単には変わらない。起業後の2~3年は自己変革の時期で、自己主張しようとする自分自身との戦いがとても辛かったそうだ。

 最近一番嬉しかったことは、自己主張が強く、迷惑をかけっぱなしだった母に『変わったね』と言われた瞬間。これまで自己中心的だった自分が、経営者になり他人の意見もアドバイスも受け入れる大人なったことを母親が認めてくれた瞬間だったから。

 そして将来の夢は獣医大学をつくること。世界中どこにもないユニークな獣医大学を作り、異分野でも通用する人材を育てたい。小学生のとき獣医師になろうと決め、その時の獣医師像が純粋な理想の獣医師像であると思っている。増田社長は、その理想像を次世代の獣医師に提供することを目指して日々、努力と研鑽を重ねている。


動物アレルギー検査株式会社
SIC-2 301
TEL: 042-770-9437
URL: http://www.aacl.co.jp/