かわらばん

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かわらばん地域版25号 2013年7月

株式会社コバヤシ精密工業
   無限の夢を追いかける
 株式会社コバヤシ精密工業の小林昌純社長を相模原市中央区大野台の工業団地「Sia神奈川」にある本社工場に訪ねました。41歳、若々しい青年社長です。同社は父親の小林一正氏が1980年に相模原市田名で開業した精密機械部品加工の会社。事業の拡大と共に相模原市や町田市に点在した複数の事業所を2009年に「Sia神奈川」に集約移転させている。

 小林社長は長男で子どもの時から漠然と「父親の跡を継ぐ」と思っていたそうだが父親から「好きな道へ進め」と勧められたこともあり大学は建築学科に進学する。大学時代にはカンボジアを訪れ日本の大林組が作ったメコン川にかかる巨大な橋が現地の人々にとても感謝されているのを知り、建築や土木という仕事のやりがいや面白さを実感したそうだ。

 一方、小林さんは子どもの頃から英語が好きでパイロットにあこがれていた。高校生の時には東京都とニューヨークの交換留学生として2週間ニューヨークブルックリンでのホームステイという貴重な経験をしている。そして、パイロットへの憧れも断ち切れず日本航空をはじめ国内の全エアラインを受験するも夢かなわず、卒業後は中堅ゼネコンに就職する。

 就職したゼネコンでは「体も心も頑丈だった」ので常に過酷な現場に配属され、現場監督として8年間寝食を忘れて働きに働いたそうだ。睡眠時間が2、3時間ということも珍しくなかったという。30才手前で仕事にも慣れ、将来のことを考え始め“もやもやした気持ち”になっていた時、父親から「戻ってこないか」という話があり、退社を決意する。

 結婚して2年目だったこともあり奥さんには反対されたそうだが、長男の責任感と経営者である父親への憧れのようなものが背中を押したのだろう。2002年に退職し、1年間カナダのバンクーバーを拠点に語学、スキー、大リーグ観戦、カジノと思いっきり羽を伸ばしたそうだ。

 2003年に帰国し、コバヤシ精密に入社、現場の1工員として必至に勉強し、1年後には社内一の稼ぎ頭に。そして、取締役、専務取締役を経て、2011年に代表取締役社長となる。同社は高い技術力を背景に大手の優良な顧客にも恵まれて順調に成長し、ピーク時で売上約4億円、利益は8000万円と高収益企業だった。しかし、リーマンショック後は顧客の厳しいコスト削減志向や製造業の海外移転などにより厳しい経営環境下にあり、そんな状況下で社長のバトンが渡された。

 そんな中、同社が生き残りをかけて取り組んでいることが3つ。一つ目は徹底した製造コストの削減。中国、韓国にも負けないコストを実現するため、徹底した自動化と量産技術の確立に取り組んでいる。米国でも製造業復活のキーはロボットを使った徹底した自動化と言われているが、コバヤシ精密はすでにロボットの導入などに取組み中国、韓国に負けないコスト構造を実現している。

 二つ目は念願だったベトナム進出。ベトナムへの進出に向け、数年間、試行錯誤してきたが勉強会で知り合った川崎市の企業に相乗りする形でハノイ工場を立上げ、間もなく操業開始の予定だという。小林一正会長自ら責任者として赴任している。今後はベトナムを皮切りにヨーロッパへの進出も考えている。小林社長は「日本で長年培てきた緻密な加工技術は世界でかならず通用するはず」と語る。

 三つ目が自社製品の開発。部品加工は受身の仕事。大手企業からの下請け的な仕事だけではなく自社ブランドを持つことは簡単なことではないが中小企業がこれから生き残っていくためには不可欠なことだろう。

 最後に小林さんに夢を語ってもらった。それは航空機産業への参入。高度で精密なスペックが要求される航空機製造の分野では今、日本企業は欠かせないプレーヤーになっている。コバヤシ精密工業の技術力なら不可能ではない。是非、実現してほしい。パイロットに憧れていた小林さんにとっては是非とも実現したいキラキラした夢なのだろう。

株式会社 コバヤシ精密工業
所在地:相模原市南区大野台4丁目1番54号
従業人数:17名  資本金:1000万円
事業内容:研究機関向け試作加工、産業用ロボット向け精密部品加工、各種検査装置移
動台の加工、組み立て鉄・非鉄・樹脂・難削材の精密部品加工、3D加工、
複合加工
代表取締役 小林 昌純氏