かわらばん

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かわらばん地域版65号 2020年1月

謹賀新年
 昨年暮れ、医師の中村哲氏がアフガニスタンで無念の死を遂げました。「アフガニスタンの永久支援者」として知られる中村氏は、ハンセン病治療センターの設立の為、1984年に派遣医師としてパキスタンのペシャワールに赴任。その後、アフガンに移り、そこで生きるために水溜まりの汚い水を飲まざるをえない子供たちの苛酷な現場を目の当たりにし、その状況から何よりもアフガンでは清潔な水が必要、「100の診療所をつくるより一本の水路をつくることが大事」だと話されました以後、現地の人の生命を守るため、医療行為はもちろん灌漑事業、地球環境事業にも取り組まれました。中村氏は、よく講演会の冒頭で「今、アフガニスタンで土木作業員をしています」と話されていたそうです。先進国では、医師は治療することが仕事。しかし、アフガンでは、いくら治療しても食べることが出来ず栄養失調で多くの子供たちが命を落としていく。ある条件下では医療は無力だということを思い知らされた中村氏。そこで「清潔な水と栄養があれば病気にならない」、これが水の仕事に手を付けるきっかけとなったのだという。2000年の大干ばつをはじめ砂漠化が進むアフガンは苛酷なまでに劣悪な生存条件。そこに水を引くことで、草木が生い茂り、動物が集まり、昆虫が来て、虫を食べる鳥もやってくる。砂漠で田植えができる緑の大地へと蘇らせる。これが「緑の大地計画」です。ちなみに現地の灌漑事業では「世界灌漑施設遺産」に登録された福岡県筑後川の山田堰に用いられた200年以上前の日本の伝統工法が活用されています。近代的・先進的な工法がダメというのではなく、現地の状況からこの工法が適していると判断されたのでしょう。そんな中村氏は、現地での体験に裏付けされた言葉を多く残されています。「戦争で国がよくなることは絶対にありえない」、「いかに少ないお金で、いかに多くの人々に恩恵を及ぼすことができるか」、「食べることのできない人の力をエネルギーに」、「一番大切なのは何よりも信頼関係」、それには「相手を理解することが大事」等など。そして何よりも中村氏の根底にあるものは「道で倒れている人がいたら手を差し伸べる―それは普通の事です」と穏やかに話すこの言葉に尽きます。

 支援機関に従事する者として中村氏から学ぶことは沢山あります。支援活動で大事なのは何か。支援国の生活習慣や伝統文化、考え方を理解したうえで国民と接する。欧米流の価値観や効率的な方法を押し付けない。本質と継続性を考慮した判断と実行力。そして人と平和を重んじる人間としての「真心」など無限大です。

 年頭にあたり、三十年以上にもわたる「アフガン復興支援」に取り組み、数十万人の命を救ってきた中村医師。その揺るぎない志と実行力を範として、企業支援活動に取り組んでまいります。

 本年もどうぞ、よろしくお願い申し上げます。

             株式会社 さがみはら産業創造センター
                  代表取締役 橋元 雅敏